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2008/06/15

勇気 実行力 「知識を見識へ、見識から胆識へ」

自分の行いを修め、心を正して君子らしい形をそなえていても、いざというときにあたって、それに対処のできない人はちょうど木で作った人形もおなじことである。 たとえば数十人のお客がにわかに押しかけてきた場合、どんなにもてなそうと思っても、かねて器物や道具の準備ができていなければ、ただおろおろと心配するだけで、接待しようもないであろう。 いつも道具の準備があればたとえ何人であろうとも、数に応じて接待することができるのである。 だから、かねての用意こそ何よりも大事なことである。
「遺訓四十一条」 信念
人生の王道 西郷南洲の教えに学ぶ 稲盛和夫 日経BP社

どんな不測の事態ににも臨機応変に対処し実行することができなければならない。 身を修め、すばらしい見識を持つとともに、見識を実行するときにそれを応用して、どんな局面においても実行できる、しっかりとした準備をしていなければならないということを数十人の不意の来客への接待という例を挙げて西郷はのべている。

人間は生きていくためにいろいろな知識を身につける必要があります。知識を持つだけでは実際には役に立ちません。「こうしなければならない」とう信念にまで高めることで「見識」にしなければならない。ただしそれでもまだ不十分です。 その見識を何があろうと絶対に実行するという強い決意に裏打ちされた何事にも動じない「胆識」にまで高めることが必要です。 「胆識」をもたらすのは勇気です。ただし自分を守ろうとすると実行できない。そのような気持ちを放り出せば困難なことも実行できるはずである。 「論語読みの論語知らず」ということがよく言われます。 先賢の教えを聞いたことがあるし、本を読んだことがある。 しかしそれはただ知っているだけで、見識となり、さらには真の勇気を身につけ実行できるようになっていなければ何もなりません。  
「幾たびか辛酸を歴て志始めて堅し」 遺訓五条
たび重なる辛酸を克服していくなかで思想は胆識となり信念となっていった。
「仁者は必ず勇有り。勇者は必ずしも仁あらず」 論語
仁者は勇気を持って義を見て、立つときには立たないといけない。
リーダーは勇気をもって自らの「胆識」で決断しなければならない。

知識 本を読んだら頭にはいること
見識 知識や経験で学んだものを自分なりに消化して問題に対して自分の意見を言えること。
胆識 行動力、実行力を伴う見識

東晃も、この胆識を身につけたいです。 それには継続して勉強が必要になります。

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2008/04/11

中国古典とグローバルビジネス

中国古典とグローバルビジネス
人主(じんしゅ)の患いは人を信ずるに在り。 人を信ずれば則ち(すなわち)人に制せらる。「韓非子」
「君主がしてはいけないこと」は相手を信用してかかることである。 そのようなことをすればいいように利用されてしまう。 ポジティブに「他人の力をあてにするよりは自分の力をあてにすべきである。」とも解釈できます。

昔から人間の見方は2つあります。 1つは性善説、もうひとつは性悪説。 「性善説は人間の本性はもともと善である。 人間関係においても信頼の上に立って対応すればうまくいく。」という前提。 もうひとつは性悪説 「人間の本性はそのそも悪である。 人間とは信用しがたいものだ」 人間関係も警戒心を持って対応しないといけない という前提に立っています。
「中国古典のなかで」
性善説の立場をとっているのが孔子、孟子の教え、すなわち儒教です。 「論語」「孟子」などです。 一方性悪説の立場をとっているのが「韓非子」です。 
現在の「グローバルビジネス」のなかで
アメリカは性悪説の前提で成り立ってきた社会だと思います。 ビジネスに関してはすぐに「契約」書類にサインをします。 守らないと罰則を課してきます。 訴訟で裁判が頻繁に行われていることでも理解できると思います。 逆に日本は性善説のなかでビジネスを行う面があります。「人情」やお互いの信頼の上に立ってビジネスをしていくという側面が強いです。 厳しい罰則の適用もためらいます。 中国はどうかと? 私が思うにより性悪説に近いのではないかと思います。 ビジネスでもまず相手を疑って、用心をしてかかってきます。 特に日本人は自分に非があると思うとすぐに謝ろうとしますが、アメリカや中国では自分の非を認めたら自分の損になるのですぐに間違いを犯したということは認めたがらない傾向があります。 これらは根本的に「考え方」、「人間の見方」の違いからきていると思います。 
「最近おこった中国製冷凍ギョーザによる中毒事件日中捜査当局 双方の主張は原則変わっておらず、解決の見通しはたっていない」という報道がありましたが2000年前の中国古典の中でも「人間の見方」の考え方が根本的に違うことがわかります。
グローバルビジネスにおいても利害関係が発生する場合、信頼のおける人間ばかりではありませんので最低限度の警戒心をもって臨む必要があるでしょう。但しビジネスをうまくすすめるには にこやかに対応しながら警戒する必要があり、これも欠くことのできない資質なのかとおもいます。(性悪説の社会でも信頼のおける人は数多くいますし極端な警戒心を持てばまとまる話も解決できなくなります。)
時間がたてば「中国製冷凍ギョーザによる中毒事件」も新しい解決法がみつかることを期待しています。
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2008/03/09

中国古典の人間学


中国古典の人間学 守屋洋(著)
中国古典を幅広く知りたい方にお薦めの入門書
中国古典の概略を分かりやすく説明してくれている上に、それぞれの本の中で著者が最も感銘を受けた点を分かりやすく解説してくれているので読みやすいです。 この本は何度も読み返しました。 日常生活において非常に参考になる本です。
「孫子」のリーダの条件として5項目
を上げています。 「智」「勇」「信」「厳」「仁」   
「智」読みが深い。状況を読む力、先見力
「勇」勇気、決断力 
「信」約束を守る 部下に対する統率力 
「厳」厳しい態度、信賞必罰 
「仁」思いやり
「伝習録」の中では王陽明が「事上磨練」 単なる知識をどんなに積み重ねてもいても、人生の修羅場においてはほとんど役に立たない。 百の知識よりも、実際体験のなかで身につけた勘のようなものが重要である。 
「顔氏家訓」の中で顔之推が 家庭内の人間関係の基本は親子、兄弟、夫婦 この3つの関係が円満であれば家庭はうまく治まる。そのためには上に立つものが下のものに、先に生まれたものがあとから生まれたものに「徳」を及ぼしていくことである。
「三国志」劉備 
「左伝」という古典に「卑譲(ひじょう)は徳の基なり」 「卑譲」 自分はひくいところにいて相手を立て、相手に譲るというのが徳の基本である。 「謙虚」と「信頼」は孔明を軍師に迎えた「三顧の礼」という有名な話の中で理解できます。「徳」は人を動かす重要な要素である。

中国古典の「深み」を経験や知恵の積み重ねにより理解できるようになるためでしょう。 読むたびに「新しい発見」があります。是非読んでいただきたい1冊です。
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中国古典 その身を忘るるなかれ

「私は こう聞いている。周も秦も、天下を手中に収めた当初は同じだったが、それから後が違っていた。 周はひたすら善政に務めて功徳を積み重ねた。 それが八百年にわたって存続した理由である。ところが秦はみずからは贅沢にふけり、人民には激しい刑罰をもってのぞんだ結果、わずか二代で滅びてしまった」と。 まことに善をを行う者の幸せは長く、悪を行うものの寿命は短い。 「貞観政要」
古典や歴史に学び 「上に立つものはまずわが身を正す」 
中国古典の3大テーマのひとつ「修己治人」 「己を修め人を治む」  「人を治む」とは人々を統治すること。 そういう立場を目指そうとするも者ははず「己を修む」必要がある。 上に立つ人間としてふさわしい中身を身につけるように「能力」と「人格」の両面にわたって自分を磨くことである。 古典や歴史を紐解くことにより説得力のあるリーダーを目指すためにはまずわが身をたださなければならないということ。
「儒学の核心」 修身ー斉家ー治国平天下
天下国家の経営に当たろうとするならまずは自分の家を(斉)ととのえなければならない。自分の家を斉えようとするなら、まずわが身を修めなければならない。  「修身」とは自分で自分を磨く努力 
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2008/02/22

中国古典 論語 温故知新


中国古典 歴史に学べ

故きを温ねて新しきを知れば、以って師たるべし「論語」温故知新です。

今を疑う者はこれを古に察し、来を知らざるものはこれを往に視る。
万事の生ずるや、趣を異にして帰を同じくするには、古今一なり。「菅子」

現状を理解できないときは、昔のことから推察する。未来が予測でいないときは過去を振り返ってみるがよい。 物事は現れ方は異なっているようでも、法則性は古今を通じてかわりはない。

先の読みにくい現代です。5年先、10年先、確かなことはわかりません。有効な方法として「歴史に学ぶ」ということです。過去の歴史を勉強することで、現代(近い将来)に対する洞察を深めていく。また歴史を勉強することで先人たちの成功と失敗を学びその中から現代を生きるための知恵を引き出すことが可能です。
 

2008/02/20

中国古典 論語 「知」

中国古典 論語 「知」
多くを聞きて疑わしきをかき、慎みてその余を言えば、則ち尤め寡なし
多くを見てあやうきをかき、慎みてその余を行えば、則ち悔い寡なし

できるだけ人の話に耳を傾けるがよい。疑問に感じたところはしばらくそのままにしておき、 納得のいった部分だけを発言する。 そうすることでつまらない失敗を免れることができる。

「東晃の解釈」
幅広い読書を心がけることも忘れてはならない。 疑問に思った箇所はそのままにしておき、納得の言った部分だけを行動に移す。そうすれば後悔することも少なくなる。 慎重に一歩一歩前に進めば、自ずからまわりの信頼も得られるだろう。

先週末図書館に行き文部科学省のパンフレットを見ました。 子供さんが1ヶ月に読む本の数、読む時間が少なくなっているそうです。 また指導要領の改訂により授業数(理科系を含め)が増えることが新聞に掲載されていました。 さまざまな要因で読書量、勉強量が減っており警告のメッセージを最近見かけます。 我々大人も同様に「時間がない」と言い訳をするのではなく時間を上手にやりくりをする方法、ノウハウを身につければ読書の時間をつくることができます。 Webなどの検索機能だけを使用して情報を取得することはある一面情報を容易に入手するメリットは得たものの、上位に掲載された情報を全員がチェックすれば同じ情報しか得ることができません。地球の裏側にいる人も同様に同じ情報を得ることは可能です。 同じ意見ばかりを選択収集することになり偏った意見により物事を断言してしまうことにもなります。良書を読むことが最強の「優良なコンテンツ」であり自分を磨くことができます。 更には自分の意見、考え方と違う記事、人に出会うことができます。 自分の持っている意見と異なる見解を積極的に収集し、自分の視野を広げることで最終的に「納得のいったもの」を採用していくことができると思います。 物事の本質を見抜くには本を読んだり、新聞(社説、解説)を読んだりすることで視野を広めることが不可欠だと思います。 最終的にはこれらの積み重ねで得た知識が差別化になると思います。

2008/02/18

中国古典 論語 「和」

中国古典 論語 「和」
君子は和して同ぜず。小人は同じて和せず。

君子は協調性に富んでいるが雷同はしない。小人は雷同はるすが協調性には欠ける。
日本の社会は昔から「組織の和」に傾斜しがちである。本当の「和」の意味とは? よい機会なので考えてみましょう。   2007年の「今年の漢字」は「偽」でした。すなわち「いつわる」「だます」という意味です。 賞味期限改ざん、食べ物(食肉、野菜、産地)の表示偽装やマンションの耐震偽造、派遣会社の偽装請負事件問題など新聞、ニュースで取り上げられ1つの社会現象となっていました。 「周りがやっている」「上司からいわれた」ということで正当化されてしまう風潮が背後にあるとおもいます。すなわちこれらの行動や考え方は「同」であります。 2000年以上の前の孔子の時代も「同」の人々が目につく現状があったのだと思います。 「和」と「同」の違いは「和」は自分の判断基準をもっている。 すなわち自分なりの倫理的価値観(信、義、仁)を持っていることだと思います。間違いや不正を指摘することができチームプレー(協調性を持つ)ができることが「和」だと思います。
「信」約束を守る、「義」正しいことを行う(社会の信頼)、「仁」相手の立場にたって物事を考える。

中国古典 中国古典の3つのテーマ

「徳は事業の基なり」~智、仁、勇、謙、寛、信、勤、義~
守屋先生の講義を受講したとき大きく3つのテーマがありました。

①「経世済民(けいせいさいみん)」 世を経め民を済う  今日でいう政治です。
国や組織をまとめ人民の生活を守る。 筆者であれば「組織」や「家族の生活を守る」ことと理解しています。 先憂後楽 一般の人が楽しんでから(先に憂い、心配)、後で自分は楽しむ

②「応対辞令(おうたいじれい)」応対(人と合って話をする)、辞令(言葉遣い)社会生活の場における人間関係にどう対処すればよいか、人間関係論について 
不即不離 くっつきすぎてもだめ、離れすぎてもだめ 距離感が重要である。
 
③「修己治人(しゅうこちじん)」 己を修め、人を治む 「己を修む」能力と人格の両面にわたって自分を磨くこと それによりはじめて「人を治む」人の上に立つ資格(リーダー)が得られる。 
自分を磨く方法論がさまざまな角度から中国古典には説き明かされている。 
毎日の生活や仕事のなかでも実践的で参考になるものが多いとおもいます。