2008/04/11

中国古典とグローバルビジネス

中国古典とグローバルビジネス
人主(じんしゅ)の患いは人を信ずるに在り。 人を信ずれば則ち(すなわち)人に制せらる。「韓非子」
「君主がしてはいけないこと」は相手を信用してかかることである。 そのようなことをすればいいように利用されてしまう。 ポジティブに「他人の力をあてにするよりは自分の力をあてにすべきである。」とも解釈できます。

昔から人間の見方は2つあります。 1つは性善説、もうひとつは性悪説。 「性善説は人間の本性はもともと善である。 人間関係においても信頼の上に立って対応すればうまくいく。」という前提。 もうひとつは性悪説 「人間の本性はそのそも悪である。 人間とは信用しがたいものだ」 人間関係も警戒心を持って対応しないといけない という前提に立っています。
「中国古典のなかで」
性善説の立場をとっているのが孔子、孟子の教え、すなわち儒教です。 「論語」「孟子」などです。 一方性悪説の立場をとっているのが「韓非子」です。 
現在の「グローバルビジネス」のなかで
アメリカは性悪説の前提で成り立ってきた社会だと思います。 ビジネスに関してはすぐに「契約」書類にサインをします。 守らないと罰則を課してきます。 訴訟で裁判が頻繁に行われていることでも理解できると思います。 逆に日本は性善説のなかでビジネスを行う面があります。「人情」やお互いの信頼の上に立ってビジネスをしていくという側面が強いです。 厳しい罰則の適用もためらいます。 中国はどうかと? 私が思うにより性悪説に近いのではないかと思います。 ビジネスでもまず相手を疑って、用心をしてかかってきます。 特に日本人は自分に非があると思うとすぐに謝ろうとしますが、アメリカや中国では自分の非を認めたら自分の損になるのですぐに間違いを犯したということは認めたがらない傾向があります。 これらは根本的に「考え方」、「人間の見方」の違いからきていると思います。 
「最近おこった中国製冷凍ギョーザによる中毒事件日中捜査当局 双方の主張は原則変わっておらず、解決の見通しはたっていない」という報道がありましたが2000年前の中国古典の中でも「人間の見方」の考え方が根本的に違うことがわかります。
グローバルビジネスにおいても利害関係が発生する場合、信頼のおける人間ばかりではありませんので最低限度の警戒心をもって臨む必要があるでしょう。但しビジネスをうまくすすめるには にこやかに対応しながら警戒する必要があり、これも欠くことのできない資質なのかとおもいます。(性悪説の社会でも信頼のおける人は数多くいますし極端な警戒心を持てばまとまる話も解決できなくなります。)
時間がたてば「中国製冷凍ギョーザによる中毒事件」も新しい解決法がみつかることを期待しています。
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